会社を休んで、2か月あまり経ちました。
人と会えば、普通に話したり、笑うことができます。
だから、外から見ると、おもったより元気そうに見えるのではないかと思います。
でも、その「元気そう」と、内側の自分の感覚には、少しズレがありました。
この記事は、そのズレと、「休んでいる自分は甘えているのでは」という自責について、正直に書いたものです。
今しんどい人は、無理して読まなくて大丈夫な記事です。
「元気そうだね」と言われると、うまく返せなかった

人と会って話しているときは、案外ふつうにできます。
会話もできるし、笑える。
だから「元気そうだね」と言われることもありました。
でも、その言葉に「元気ですよ」と答えますが、内心ではどこか引っかかる。
元気に見えているらしい自分と、自分の内側で感じているものが、かみ合っていませんでした。
外から見える自分と、内側の自分は、違っていた
人といる時は動けるのに、仕事を思うと一気に沈む
誰かと一緒にいるときは、動けます。
ごはんを食べにいったり、話したり。
その場では、問題なく過ごせている。
でも、ふと仕事のことがよぎると、そこで一気に沈みます。
胸のあたりに、つかえのようなものが出てくる。
一瞬で気持ちや体調が切り替わってしまうんです。
外から見える自分と、内側の自分は、こんなにも違うのかと思いました。
「これだけできるなら、甘えでは」と自分を疑った
そうやって普通に過ごせている自分を見ていると、こう思うときがあります。
「これだけできるなら、休んでいるのは甘えなんじゃないか」と。
外に出られる。人と笑える。ごはんも食べられる。
それなのに会社には行けていない。
その事実をならべて、自分で自分を責めていました。
いちばん自分を疑っていたのは、他の誰でもなく、自分自身でした。
でも、限界がきたとき、体は動かなかった
ただ、どれだけ「甘えかも」と思っても、ひとつだけ変えられない事実があります。
あの仕事を休んだとき、限界がきて、体は現に動かなくなりました。
自分で決めたというより、体のほうが先に止まった。
病院で相談した結果も、ドクターストップでした。
「甘え」という言葉と、実際に動かなくなった体。
このふたつは、どうやっても噛み合いません。
だから、自責がわいてきても、最後はこの事実のところに戻ってくるようにしています。
体が動かなくなった経緯は、こちらの記事に書いています。
無理のない範囲で。しんどい日は、休んでください。
他人がどう思うかは、変えられない
もうひとつ、少しずつ思うようになったことがあります。
他人が自分をどう見るかは、自分にはどうにもできない、ということです。
甘えていると思う人は、甘えていると思うでしょう。
それを止めることはできません。
気にしても、そこは動かせない。
「甘え」という言葉で、人の状態を決めつけること自体、そもそも少し違うのかもしれない。
最近は、そんなふうにも感じています。
言い切れるほど整理はついていませんが、その言葉に、前ほど縛られなくなってきました。
気にするのを、やめていきたい
とはいえ、他人の目をまったく気にしないのは、まだ難しいです。
自分は長く、周りの目を気にしてきました。
性格は急には変わりません。
でも、方向としては、気にするのをやめていきたい。
そう思えるようになってきただけでも、少し楽になった気がします。
他人の目より、自分がどう立て直すか
いま、いちばん大事だと思うのは、他人がどう思うかではありません。
自分が、この状態をどう立て直していくか。
そこに、目を向けたいと思っています。
外からどう見えるかを気にしているあいだは、自分のほうがおろそかになります。
だから、視点を自分に戻す。
ゆっくりでいいので。
人と比べず、自分のペースで。
でも、まだ途中です。
今も、元気そうに見られてうまく返せない日はあります。
それでも、少しずつでいいと思っています。
しんどい日は、休んでください。
つらさが続くようなら、ひとりで抱えず、主治医に相談を。
※この記事は、わたし個人の経験の記録です。
感じ方や回復のしかたは人それぞれ違います。
つらさが続く場合は、主治医や専門の窓口に相談してください。



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